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童貞卒業への道程

大切な人と幸せに暮らしたいな

自然な出会い

明日も英会話サークルに行こう

でも

いつもいつもそうなのだけど

行く前に、少し自分にマイナスの感情が芽生える

もう少し言えば、自分が嫌になるのだ

英会話サークルに通い始めてから、もう一年以上が経過した

一体どれくらい通っただろうか?

少なくとも20~30回は通っていると思う

しかし、中々結果がでない

結果って何のこと?

本来の英会話サークルの目的は、英語の上達だと思う

つまりここでいう結果とは英語の上達を意味しなければならない

しかし僕の場合は、ほとんどが「出会い」を求めていっているのだ

だから参加した会に素敵な女性がいなければ、少なからず凹む

何かそれっておかしいよな・・・

そんな思いを抱えながらも、出会いを求める自分を正当化しながら、せっせと英会話サークルに足を運んでいる

でもこれだけ結果が出ないと自分を正当化するのにも限界がくる

むしろこんな「出会いを求めている自分」というものが、周りからみたらバレバレですごい気持ち悪い存在なんじゃないかな?

なんてことを思ったりもする

そんなことを考えているとますます自分が嫌になる

でもそんな趣味のサークルで、僕みたいな年齢の独身の男女が、全く1ミリの不純な気持ちも無く、純粋に趣味の楽しさだけを求めて参加することなんてあり得るのだろうか?

そこに異性がいれば、少なからず意識してしまうのが普通だし、みんな少なからずそういった下心のようなものを隠しながらも平然を装って参加しているのかな?

よく、趣味を通じて出会った男女がそのままゴールインしたなんて話しも聞くし、僕みたいな出会いを求めて参加している人もいるはずだと思う

そういった人たちはいったいどんな気持ちで参加しているのだろう?

そう思った

でもこんな演技みたいな

「自分は純粋に英会話を楽しみにきただけですよ」オーラを出しながらも

サークルが終わるころには「どうしたら連絡先を聞けるか?」なんてことに意識をとらわれている

そんな自分の中の矛盾に耐えきれなくなっている

何でこんな気持ちを抱えてまで英会話サークルに僕は来ているんだろう?

もっと楽に、もっとストレートに、恋愛をしたいのに

自分を苦しめているものは何だろう

そんな自分を掘り下げていくと

あることに気づいた

僕はずっとこのブログを立ち上げてから、「自然な出会い」というものにこだわってきたということ

僕の中での「自然な出会い」とは、例えば社内恋愛であったり、趣味のサークルでの出会いであったり、

ごく普通の世の中に存在するコミュニティーの中での出会いだ

なぜ自然な出会いにこだわるのだろう

僕にもよくわからない

でも、そこには一種の憧れのようなものがあるというのは自分でも自覚できる

憧れ・・・

高校時代は男子校で出会いなんて全くなかった

クラスには女の子なんて当然いないし、好きな女の子と放課後一緒に帰るなんて夢のまた夢

そして、専門学校、社会人を経て働いた先でも常に職場の女性の人数は片手で足りるほど

男女比は常に9:1か10:0

極端な男性社会の中で生きてきた

社内恋愛なんて異次元の世界での出来事にしか思えない

だから「普通」に生活をしていて、「普通」に女性と出会う

そんなことは僕の人生には起こりえなかったのだ

それゆえに「自然な出会い」というものに憧れが強いのだと思う

だから合コンとか街コンとかには行かずに、英会話サークルやバー等に足を運んできた

自然な出会いがしたい

自然な出会いがしたいんだ!

でも

今の自分の行動は、果たして自然と言えるだろうか?

自然をもとめて、不自然になっていないか?

本来は出会いを求めるべきでは無い場所へ、出会いを求めていくこと自体、不自然なんじゃないかな?

むしろ合コンとか、街コンとか、相談所とか、出会いを求める男女が集うところに、出会いを求めて参加することのほうがよっぽど自然じゃないか

コミュニティーとしては、不自然かもしれないけど、自分の心には正直で自然だと思う

あーもっと自分に正直でいたいよな

どうしてもサークルに行ってしまうと、恋愛目的で来たと思われるのが嫌で

僕は純粋に英語を勉強しに来ました!的なフィルターがかかってしまう

だから会話が盛り上がっても、どこか連絡先が聞きづらいかったりもするし

むしろそんなことを考える必要もない合コンとか、街コンとかに行った方がいいのかな?

でも自然な出会いへのあこがれも捨てきれないしな・・・

何なんだろう

この気持ち・・・